【海外逃亡生活①】ドイツへ
海外へ行った理由
私の海外へ逃亡したお話をしようと思います。
26歳の時、当時教育関係の仕事に就いていました。
憧れて就いた職業でしたが、現実は厳しく、まったく思い通りにならない。
子どもたちからは嫌われ、保護者からも陰口を叩かれていました。
・職員が職員を突然大声で罵倒する。
・授業を見た別の職員が、授業中にも関わらず、大声でダメ出しをしてくる。
なんてのが普通にあった。
とにかく職員同士のけんかは日常茶飯事。
いつも誰か(大人ね)が泣いてた。
聞こえてくるのは誰かの悪口ばかり。
残業してると、お局さんたちは何をするわけでもなく、22時くらいまでずっと話している。
誰かに対する愚痴を。。。
自分はそこまで直接の被害には遭わなかったが、自分の空回り具合とその殺伐とした雰囲気で働くうち、精神が少しずつ病んでいきました。
(特に夏前にひとつ事件を起こしかけてしまうのだが、それはまたの機会に話すとします)
そうだ!海外へ行こう!
仕事に就いて一年が経つ頃、このままもう一年続けるのは無理だと答えが出ていました。この仕事はしたいが、今は無理。
じゃあどうする?
そうだ海外へ行こう!
と謎の決意をしました。
当時自分の妹はじめ、まわりには海外へ行ってる人がたくさんいました。
話を聞いたりしているうちに密かに憧れを持つようになったのでした。
ワーキングホリデー
どこの国へ行くのがいいか、いろいろ調べた結果ドイツへ行くことにしました。
理由はまず、ワーキングホリデービザを利用できる国であるということでした。
調べた結果、
日本とワーホリ協定を結んでいるのは、当時11か国。(現在は26か国)
・オーストラリア
・カナダ
・イギリス
・ドイツ
・フランス
・台湾
・韓国
・香港
はじめ、イタリアを希望していました。
理由は、イタリアンが好きだったことと、少年時代、中田英寿がペルージャへ移籍し、おしゃれなヴィトンのスーツに身を包み、優雅にイタリアンパスタを食べながらワインを飲みながらインタビューされているところを見て憧れを抱いたからでした。
しかし、とりあえず1年、無条件に若いだけでビザがもらえるワーホリの魅力、
仕事を見つけていかなければ、パスポートで最大1か月しか居れないことを知ってあきらめました。
そこで、考えたのはドイツ。
当時、長谷部、香川らブンデスリーガへ移籍する選手がたくさんおり、
何よりビールが好きだったこと、自分には全く未知の言語であることに魅力を感じドイツへ行くことを決めました。
留学斡旋会社を頼る
とはいえ、海外への行き方など全く知らない僕は、
まず留学斡旋会社を頼って情報を集めることにしました。
妹からも情報を得て、どこの会社がいいか色々調べました。
中には詐欺まがいの会社もあったので、そこは慎重に。
といったところで続きは次回また書いていこうと思います。
渡独するところまで書きたかったですが、
少し時間がないので今日はここまでにしておきます。
次回また、興味があれば続きを読んでくださいね!
それではまた。
チュゥース