海外逃亡生活⑤ -中2病患者のためのドイツ語ー

ホームステイを初めて一日目こそ、誰も知る人もいない、どこに何があるのか、トラム(路面電車)の乗り方も分からない。ケータイもない、、

本当に3歳くらいの子どもの気持ちです。不安しかない状態でしたが、

慣れれば何とかなるもんです。

 

15歳の女子にお母さんしてもらう

語学学校に入国2日後から行きだしたのですが、トラムの定期券の買い方を同じ家にホームステイしていたフランス人の女の子(若干15歳!)に、町のキオスクに連れて行ってもらい、定期の買い方を教えてもらった。

 

もちろん僕は、カタコトの挨拶と、「○○が好き」とか「●●したい」であるとか、「I have a pen」のドイツ語くらいしか話せないわけで、「こっちよ」「ここで買うのよ」と案内されるがままにキオスクでおっさんから定期を買う。

 

俺もう26歳なのに・・・って気恥ずかしくなった。

この時、自分以外に3人のホームステイがいて、

 

1.定期を買いに連れてってくれたフランス人女子16歳

 

2.少年の時のブラッド・レンフロを思わせるチェコ人の男の子15歳

(主演したマイフレンド・フォーエバーは名作ですよね。)

 

3.年齢不詳の、ドイツでパン職人の勉強をしに来たという日本人女性(年齢不詳:同い年くらい)清楚な見た目で好きな音楽はデスメタル

 

ヨーロッパでは、留学・ホームステイというのは10代でやるのが普通なんですよね。

中高生のうちから積極的に他国に学びに行く。

特にEU圏内ならばビザは不要だし、何より地続きであることが留学を簡単にしている一つの理由ですね。

 

そんなこんなで定期も手に入れ、語学学校に通いだしました。

 

そこで本格的にドイツ語を、現地の生きたドイツ語を学び始めたわけです。

 

最強の中2病言語。濁音の嵐

まあ学べば学ぶほど、ドイツ語のその音の響きに魅かれていきました。

 

とにかく濁音がめちゃくちゃ多いんです。

少し紹介していきましょう。

 

ソファー→sofa(ゾーファ)

 

フォーク→Gabel(ル)

 

缶→Dose()

 

靴下→Socken(ッケン)

 

という具合に、濁音の多いこと。

 

動詞もすごい。

 

行く→gehen(ーエン)

 

見る→sehen(ーエン)

 

言う→sagen(ン)

 

 

過去分詞形にするともっとすごい。

行った→gegangen(ゲガン)

 

見た→gesehen(ゲゼーエン)

 

言った→gesagt(ゲザークト)

 

などなど。ちなみに”食べる”はessen(エッセン)ですが、

過去分詞形にすると、gegessen(ゲゲッセン)です。

なんだか食べたものが出てしまいそうです。

 

このように濁音が多いのが中2病言語と言われる所以だと思いますね。

それもあって、ドイツ語をどんどん学びたい!ドイツ語でかっこよくコミュニケーションしたいとモチベーションはどんどん上がっていきました。

 

聞き取りが難しい。上達速度は亀。

その気持ちとは裏腹に、実際の上達速度は超遅かった。

同じホームステイの子たちは、どんどん上手くなっていく。

ホストファミリーのママとパパが話す言葉もよく理解している。

 

言える言葉、文章は確実に身についていったが、如何せん相手の言うことが分からない。聞き取れない。

 

ja(ヤー)とかaha…とか聞く態度だけはいっちょ前な自分でしたが、その実全然分かってなくて、

 

「ヌケサクは私の言ってること全然分かってない。」「あなた教えてあげて」

とヘルプを出され、また10代の女子にお母さんのように手取り足取り教えてもらう場面がしばしば。

 

例えば

実は数日前から、シャワーを浴びた後、”排水溝のザルに髪の毛が溜まったままだ。毎回シャワーの後きれいにするように”と言われていたのをテキトーに分かったふりで

 

ok!

って言ってたら、数日たっても相変わらず髪の毛が、私のシャワー後に溜まっているので、注意されるが、それでも分かっていない、フリーズしてる僕を見かねて、15歳の少年がシャワー室に僕を連れて行って説明してくれたりとか。

 

毎日学校行ってるのになかなか聞き取れるようになりませんでした。

 

やっとスムーズに聞けるようになったのは1か月後くらい。

 

それまではホームステイもまあまあ苦痛でした。

特にみんなが一堂に会す朝食と夕食の時間。

毎日頭が痛かったです。

 

上達が遅い原因

ずばり、日本人特有の”キレイに話さなきゃ”という完ぺき主義的意識と、

遠慮がちな態度だと思います。

 

 

完ぺき主義的意識

文法の型にとらわれてそれ通り正しく話さなきゃいけないという気持ちが言葉を詰まらせる。

 

スピーチなどきれいに作文された原稿を読む。

敬語がおかしかったり、表現が変だと添削されて言い直しになる。

「きれいに伝えなければいけない、失礼である」を小さい頃から刷り込まれている、日本の学校教育で学んだ弊害だと思いました。

 

遠慮がちな態度

それから、あとはグイグイ前に出ることを良しとしない、

”空気を読んで、周りに合わせて”が重んじられる日本人は、なかなか相手の言っていることで、分からないことを質問しづらい。

 

「こんなに会話を切って、聞き直すの失礼じゃないか」

という思いが先に立ってしまって、分からないまま、なんとなく相手に雰囲気だけ合わせて会話が終わるパターン。

 

まさに当時の自分はこれ。

これは上達の機会の損失でした。

 

そういう点で、ラテン系の、スペイン、南米の人たちはすごかった。

とにかくしゃべる。

よくよく聞くと文法は滅茶苦茶だわ、単語は間違ってるわ、かなり雑だったけどとにかく勢いで押し切る。

 

そして質問しまくる。

相手が真摯に答えてくれても、「でも私はこう思うけどね」と感謝するどころか逆に意見を投げ返す。

 

何より、私と同じ言語レベルの人も、ドイツ語で話しながら冗談を織り交ぜる余裕がある。そこで和む。会話が弾む。

 

このようなシーンをたくさん見ました。

 

そうして、

ああこれは真似できない。亀のように愚直にゆっくりと上達する以外に道はないと覚悟を決めたのでした。