野手の中継ぎ登板あり?ナシ?

阪神巨人7回戦

 

11-0と阪神大量リードの8回裏1アウト。勝負のほぼ決した状態から、登板した巨人のピッチャーはなんと内野手の増田!

 

原監督、、さすがです。

きもちよーく終えようとしている我が阪神サイドの心を揺さぶる采配。

負けてもただでは終わらない。もやっとさせられました。

 

結果は、

先頭・近本→セカンドゴロ

 

江越→四球(ただし、フルカウントからど真ん中カーブ。江越なぜか屈んで見送る。・・・どう見てもストライクです。審判の打者への配慮か?)

 

大山→ライトフライ

 

あっさりひねられとるやん。。

 

確かに意外にコースぎりぎりいいところに投げてたし、140キロ近く出てたけどさ。変わり種、初物に弱いのが阪神打線はお約束。

相変わらずです。

さあ、これがtwitterや各メディアで話題に。

 

賛成派は、

「長いシーズン、今後のため投手温存できる。」

「メジャーではよくある。」

「珍しいものを見れた。敗戦濃厚のジャイアンツファンをワクワクさせた。」

 

反対派は、

「相手野手に失礼。」

「伝統的な巨人の戦い方に反する。(伊原春樹氏)」

「テレビを消した。絶対やっちゃいけない(堀内恒夫氏)」

 

野手の登板はあり!!

でしょ。批判してるのは巨人のOB連中ばかりで、理由は伝統とか、プライドとかそんな精神的な拘りばかり。

 

実際現場にいる巨人の投手陣は、

正直敗戦処理で無駄に疲れることはなくなったし、

当の増田選手にしても、「甲子園のマウンドに立っていることがうれしかった。」

高校野球では投手で、甲子園に出れなかった彼からすると、いい経験になったようです。

 

何より見ているファンも、物珍しさにわくわくしましたよ。

 

もともと野球は、特に学生レベルでは野手が投手として投げるなんて当たり前のこと。ルール上何も問題はないのだから、批判される要素は何もないんですよね。

 

OBの方々の功績は偉大ですが、今実際野球をしている現場の判断をもっと尊重できないのでしょうか?

 

ある程度前々から準備していた作戦だったそうで、別にヤケクソでやってるわけでないのは素人目にも分かりましたよ。

 

いつまでも妙な精神論をふりかざしていると時代に取り残された哀れなオジイチャン扱いされてしまいます。もっと現在進行形を受け入れてくれー

 

とか言って、

冒頭でもやっとさせられたとか書いてるくせに!

って感じですねw

 

はい。

あっさり打ち取られたわが軍の若手野手には、もやもやが止まりませんでした。

 

それではまた!

チュゥース

 

 

 

 

海外逃亡生活④ -バタバタシュッコクー

なんやかんやありましていよいよ出国!

 

いやー行くと決めてからの約4か月。あっという間でした。

いざ行くとなるとワクワクから一転、不安と寂しさの入り混じった不思議な気持ちになるもんです。

 

前日、最終準備をしていると、もっとパンツを持っていきなさい!とか海パンは持っていかなくていいのかとか、色々両親に心配されていると急に離れるのが寂しくなってきたのです。

 

なんかあれですね、小学生の時、林間学校とか連泊のキャンプに行く前のあの不安に似てますね。20代半ばでもこんな気持ちになるんです。

親は、「子は何歳になっても子」と言いますが、子の立場からしてもそうなのかも。

 

あやうく乗り損ねる。

出発の日は土曜日ということで、両親も休みだったので、空港まで車で送ってくれることに。

 

さらに当時、大学時代から仲良くしていた友だちも駆けつけてくれ、出発前の不安な気持ちを和らげてもらいました。

 

関西空港でチェックインを済ませた後、カフェでみんなでお茶をしました。

みんなそれぞれお餞別をくれました。

パンツとか笑

 

両親のパンツ不足の心配はそこで解消されたのでした。

 

そのあと出国便の電光掲示板の前で記念写真なんかのんきに撮ってたら、

ふと放送が。

ピンポーン

「○○(便名)搭乗予定のヌケサク様。

搭乗手続きをお急ぎください。」

みたいな放送でした。

 

え?まだ時間あるのに?

と思ってたら、実はターミナルを間違えていたことが発覚。

 

関空のターミナル2はちょっと離れていて、シャトルバスで10分とかそれ以上かかるんですね。。

その時間を逆算するとボーディングタイムギリギリ!!

 

別れを惜しむ間もなく、迎えに来てくれた係員のお姉さんに「走ってください!」と言われ、必死こいてターミナル2へ。

 

ここまで、周りの人たちに俺は向こうで一旗あげてくるぜ!!なんてことをふかしといて、飛行機乗り損ねて行けなかったなんてあまりにダサすぎる。

 

とにかく急いだ。

駆けて駆けて、髪は汗でぬれ、メガネは曇り、思い描いた中田ヒデのようなスタイリッシュな出国では全くなくなってしまった・・・。

 

 

何とか間に合いましたが、実は数分待ってもらっていたのです。

そう、飛行機はチェックインを済ませ、荷物を預けている客の遅刻は多少待ってくれるのです。

 

搭乗するとほとんどの人が既に席に着き、今かと出発を待っている状態でした。

てめえがおせえから少し時間過ぎてんじゃねえか

と言わんばかりの、というか言いたい、冷たい目がいくつも突き刺さった。

 

申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、座席へと会釈をしつつ歩を進める。

肩身の狭さが半端なかったが、

今日は仕事あがりらしきドイツ人の巨体パイロットが、ワインを飲みつつCAたちと余裕の談笑を決め込んでいるのを見て、少しホッとしたのを昨日のことのように覚えています。

 

何はともあれ、無事グレートジャーニーへの空飛ぶ箱舟に乗り込むことができた。

さあ、いざドイツへ!!

海外逃亡生活③ -ドイツ語を学ぶー

ワーホリが決まってから、仕事をしつつ、出発までの間はドイツ語の勉強を

しました。

 

けっこう、英語圏以外の国に行く人も、特に英語圏での生活経験や英語がもともと得意な人はその国の言葉を学ばずに行く人が多いんですよね。

あと、英語全然できないけど、「なんとかなるやろー」っていうチャレンジャーも結構います笑

 

こういう人に後々、たくさん出会いますが、本当に尊敬もんです。

怖いもの知らずとはこのことか。勢いとパッションでなんとかするぞーで

底知れぬ自信を持っている人。そういう人に昔から憧れてました。

 

 

すごいですよ。I want ~みたいな中学1年でもできる文すら言うことなく、世界一周を成し遂げてるような人もいて。

 

どうするかというと、買い物するときも「これちょうだい」って日本語で言って

相手が「what??」ってなったら「だからこれじゃん!」ってあとは身振り手振りと勢いのみ。その人は日本語だけで旅をするのをポリシーとしてる人でした。

当時40歳くらいの人でしたが、すげー力の抜けた人で、「人生何とでもなるよー」ってふわっと言い放つ人でしたね。

 

話が逸れましたが、

このドイツ語ってのが、学んでみると響きが激烈にかっこいい!

 

たとえば、

 

顔→ゲズィヒト

 

ボールペン→クーゲルシュライバー

 

テレビ→フェルンゼーエン

 

なんかファイナルファンタジーとか、ガンダムとかいろんなアニメに出てくる中2心をくすぐる単語が満載だったのです!

 

その時使ったテキストがこれ。

 

CDブック ステップ30 1か月速習 ドイツ語

CDブック ステップ30 1か月速習 ドイツ語

  • 作者:増本 浩子
  • 発売日: 2006/02/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

一日1ステップから学べるテキストで、

出発まで2か月以上あるから、一日1ステップずつ、超スモールステップで学べるから丁度よかったのです。

 

この時語学学習ってこんなに楽しいんだって知りました。

今まで英語も勉強していなかった僕ですが、少しずつ見知らぬ言葉を学んでいくことがまるで新しく生まれて、またことばを身につけていっているような、、

生まれ変わっていくような感じさえしました。

 

ドイツ語学習にのめり込んで、無事一冊をやり終えて、

あとは知らない単語を調べる辞書さえ持ってれば、もうドイツ人と対等に、オーバーリアクションを交えながらぺらぺらーって感じで、ビールもう酌み交わしまくれるわって思うくらい勉強できました。

 

このほんの、ポッキーくらい高くなった鼻は、入国一日目には粉々にはじけ飛んでしまうのですが。。。

 

 

 

やっぱり…

前夜はお祭り騒ぎ。

我がタイガースのお話です。

昨日は2本の満塁ホームランを含む20点と大爆発した猛虎打線。

球団1試合最多得点にあと2点と迫る猛攻でした。

 

ちなみに最多得点試合を記録したのは2010年8月25日の広島戦(京セラドーム)。

 

あの試合ですね。

見てましたよ、リアルタイムで。

当時金本さんがまだ現役で、内角の低ーい球をライトに弾丸ライナーで満塁ホームランをぶち込んだシーンをよく覚えていますよ。

 

あの日は復刻版、ブラックタイガースユニフォームに身を包んだ試合でした。

”1948年から1949年の「大阪タイガース」時代に着用”

されたユニフォームでした。

 

 

f:id:hakattian:20200729231239p:plain

 

 

さてこういう試合の次の試合は得てして、打線が湿りますね。

 

完封負けとか1点しか取れないとか。。

 

悪い予想はよく当たる

やはり予想の通りでしたね。。

負けました。

3対1。

 

再三チャンスは作るんですがね。。

どうもみんな振りが荒いんよね。

仕方がないか。

木浪なんて、昨日3ラン含む4安打。

今日、2三振4タコ。

 

明らかに昨日のイメージ引きずってるやん。。

 

自論としては、ああいう打ちまくった試合の後は、その試合で出てなかったor結果出てなかった選手を使うといいと思うんですよ。

 

「俺だけ打ってない。ちくしょう。俺だって・・・」

という気持ちになっているから結果出す気がするんですよ。

蚊帳の外だった北條とか出してみてほしかったですね。

 

とはいえ、前の日に結果を出した選手を外すというのも、その選手のプライドを傷つけることにもなるし、セオリーに反するから、負けた時の批判も多いでしょうからね。。

改めて監督って大変だなと思いました。

 

 

 

 

 

 

海外逃亡生活②

計画

留学斡旋会社は、ネットで色々調べた結果、

ラストリゾートかウインテック留学センターという2つの候補に絞りました。

 

妹からの前情報により、ラストリゾートは費用がそこそこ高く、

その割にサポートがあまりよろしくないと…。

 

というわけでウインテックさんに電話をしてみることに。

仕事のちょっとした合間にかけてみました。

 

素敵な水先案内人

「お電話ありがとうございます。・・・」

 

すごく若めの上品な女性の声。

 当時彼女もいなかった僕は、電話向こうの女性を妄想しながら、

綾瀬はるか似か、いやちがう。高めの声だから、吉高由里子系かなー」

なんてワクワクしてました。

 

早速その週末オフィスを訪ねることに。

 

もう10年も前のことなのであまり覚えていませんが、

神戸のあるオフィスビルの何階かにある事務所を訪ねると、

あの四国の優と言われる野球の名門高校みたいな名前の某有名個人塾ばりに

パーテーションで間仕切りされた空間がたくさんある内観が目に飛び込んできた。

 

受付でアポイントがあることを告げると、その間仕切りされたある一角に案内された。

 

「こんにちは!お電話でお話しした高木(仮名)です!」

 

元気な声で挨拶してくれたその人は、

電話の声の予想通り、かわいらしい顔の皆藤愛子さんみたいな女性でした。

 

聞くと同い年というではないか!

 

自身も大学生時代チアリーディング部で活躍し、アメリカ留学の経験もあるとのこと。

明るく朗らかながら、芯の強さを秘めた女性という感じでした。

 

電話で話した内容を確認しつつ、ワーホリのプランを練っていくことに。

重視した点は3つ

 

1 語学学校へ通う

2 はじめの2か月はホームステイで語学実践と文化に触れる

3 歴史あるザ★ヨーロッパ的町並みのところに住む

 

 これらを総合した結果、住む町はドイツ南西部のハイデルベルクという町で、

ホームステイ先はシュヴァルツァーさんという家庭で、大きな背丈・お腹も立派なご夫婦のおうちに決まりました。

写真の背景にはプールが!

豪邸やん!!

 

語学学校はF+Uという名前の学校に決まりました。

 

出発は6月に決定。3か月後でした。

費用や手続きの詳細はあまり覚えていませんが、いつかまた過去の資料を見ながら機会があれば書こうかな。

 

とりあえず初期費用として100万ほどかかったかな。

 

この後のビザの手続きは高木さんに色々教わりながら進めていくことになり、その他航空券などは全てセンターが担当してくれることに。

 

素敵な案内人にも出会い、もう心は未知の国へのあこがれでいっぱいに満たされていました。

かくして、ついに引き返すことのできない、グレートジャーニーへの第一歩を踏み出したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【海外逃亡生活①】ドイツへ

海外へ行った理由

私の海外へ逃亡したお話をしようと思います。

 

 

26歳の時、当時教育関係の仕事に就いていました。

憧れて就いた職業でしたが、現実は厳しく、まったく思い通りにならない。

  

子どもたちからは嫌われ、保護者からも陰口を叩かれていました。

加えて職場はパワハラモラハラの嵐。

 

・職員が職員を突然大声で罵倒する。

・授業を見た別の職員が、授業中にも関わらず、大声でダメ出しをしてくる。

なんてのが普通にあった。

とにかく職員同士のけんかは日常茶飯事。

いつも誰か(大人ね)が泣いてた。

聞こえてくるのは誰かの悪口ばかり。

 

残業してると、お局さんたちは何をするわけでもなく、22時くらいまでずっと話している。

誰かに対する愚痴を。。。

 

 

自分はそこまで直接の被害には遭わなかったが、自分の空回り具合とその殺伐とした雰囲気で働くうち、精神が少しずつ病んでいきました。

(特に夏前にひとつ事件を起こしかけてしまうのだが、それはまたの機会に話すとします)

 

そうだ!海外へ行こう!

仕事に就いて一年が経つ頃、このままもう一年続けるのは無理だと答えが出ていました。この仕事はしたいが、今は無理。

じゃあどうする?

 

そうだ海外へ行こう!

と謎の決意をしました。

 

当時自分の妹はじめ、まわりには海外へ行ってる人がたくさんいました。

話を聞いたりしているうちに密かに憧れを持つようになったのでした。

 

ワーキングホリデー

どこの国へ行くのがいいか、いろいろ調べた結果ドイツへ行くことにしました。

 

理由はまず、ワーキングホリデービザを利用できる国であるということでした。

調べた結果、

日本とワーホリ協定を結んでいるのは、当時11か国。(現在は26か国)

・オーストラリア

ニュージーランド

・カナダ

・イギリス

・ドイツ

・フランス

アイルランド

デンマーク

・台湾

・韓国

・香港

 

はじめ、イタリアを希望していました。

理由は、イタリアンが好きだったことと、少年時代、中田英寿ペルージャへ移籍し、おしゃれなヴィトンのスーツに身を包み、優雅にイタリアンパスタを食べながらワインを飲みながらインタビューされているところを見て憧れを抱いたからでした。

 

しかし、とりあえず1年、無条件に若いだけでビザがもらえるワーホリの魅力、

仕事を見つけていかなければ、パスポートで最大1か月しか居れないことを知ってあきらめました。

 

 

そこで、考えたのはツ。

当時、長谷部、香川らブンデスリーガへ移籍する選手がたくさんおり、

何よりビールが好きだったこと、自分には全く未知の言語であることに魅力を感じドイツへ行くことを決めました。

 

留学斡旋会社を頼る

 とはいえ、海外への行き方など全く知らない僕は、

 まず留学斡旋会社を頼って情報を集めることにしました。

 

 妹からも情報を得て、どこの会社がいいか色々調べました。

 中には詐欺まがいの会社もあったので、そこは慎重に。

 

 

 といったところで続きは次回また書いていこうと思います。

 渡独するところまで書きたかったですが、

 少し時間がないので今日はここまでにしておきます。

 

 次回また、興味があれば続きを読んでくださいね!

 それではまた。

 チュゥース

広島焼き

って書くと広島の方は怒ります。

 

お好み焼きは広島がオリジナルじゃけん!

と思っておられるからです。

 

 妻が広島旅行から帰ってきました。

いわずと知れた名店、「みっちゃん」のお好み焼きを食べてきたそうです。

 

www.okonomi.co.jp

 

 

この間、NHKの「プロフェッショナル」で、みっちゃんの創業者の息子さん(怒ります。

 

 

 

お好み焼きは広島がオリジナルじゃけん!

 

と思っておられるからです。

 

 

 

 妻が広島旅行から帰ってきました。

 

いわずと知れた名店、「みっちゃん」のお好み焼きを食べてきたそうです。

 

 

 

www.okonomi.co.jp

 

 

 

 

 

この間、NHKの「プロフェッショナル」で、みっちゃんの創業者の息子さん(義理の息子さんだったかな?)が紹介されてましたね。

お弟子さんへの指導は、それはそれは根気強く、何度も何度も焼かせては味見をして・・・

「キャベツのうまみが出てない。」

「もっと音を聞いてひっくり返すタイミング見つけんと。」

 

 普段家でなんとなく焼いて、ソースさえかけりゃなんでもうまいなんて食べ方してましたが、商売にするとなるとそれではいけないんですね。

お弟子さんも独立へ向けて並々ならぬ情熱を持って向き合っていました。

そのお好み焼きへの情熱は鉄板より熱い!

 

 お土産で、みっちゃん総本店のソースを買ってきてくれたので、来週はどこかでお好み焼きしようと思います◎

 

それではまた。

チュゥース